おうちライフ

都内在住30代。共働き子なし夫婦の嫁が送る、気ままなおうちライフ

好きなものにちゃんとお金を払うことー「迷い」と「決断」

私の「迷い」と「決断」は、
「本当に好きなものにちゃんとお金を使うこと」だ。

こんなふうに書くと、今までそんなにお金を使ってこなかったのか?遊んだり服買ったりはしてこなかったのか?と思われるかもしれないが、そういうことではない。

私はお金の使い方が下手だった。
また、自分が真に嬉しいと思えることにお金を使うことは、すごく悪いことなんだと深い意識下で考えていて、その思いは大人になっても消えなかった。
(これは育った家庭環境によるものだと確信している。)

話は戻るが、これまで遊んだり、服を買ったりしてきた。ちゃんと。
映画も行くし、ディズニーランドも行くし、本もCDも買う。
好きなアーティストもいて、ライブに何度も行った。
それらを一緒くたに「本当に好きなことではなかった」というには激しく語弊があるけれど、自分の好きなものに対する欲を意識下で制御していた結果の行動だということに変わりはない。本当に好きなものは、散々悩んだ挙句、結局手を伸ばしてこなかった。好きだと思うものを増やすのが怖かった。だから好きだという気持ちを忘れようとしていた感じすらある。


迷い悩み、「本当に好きなものにちゃんとお金を使うこと」を決断した結果、私は好きな対象のファン活動をはじめることにした。

……もしかしたら何を言っているのかわからない方もいるかもしれない。
でも、私にとってこれは結構大きな「迷い」で「決断」だった。

 

「迷い」を経て「決断」した今、私は、坂本真綾さん、小倉唯ちゃん、ワルキューレの3組を応援している。
中でも真綾さんは吹き替え、舞台、ラジオ、エッセイなどマルチな活躍をされているけれど、この3組が並んだとき業界的にイメージはアニメやゲーム寄りだろう。

本当はもともと好きだった人たちだ。
なのに、「好き」だと宣言できるようになったのも、グッズを買ったり、ライブBlu-rayを買ったりするようになったのも、本当にここ最近のことだ。

お金のなさが生んだ歪んだ意識

突然だが、私は昔からお金の使い方が下手だ。親も下手だ。環境のせいにしてしまえば簡単だが、うちの家族は誰もがマネーリテラシーの低い人たちの集まりだった。

お金には小さい頃から苦しめられていた。
たとえば小学生の途中まで私はお金のない母子家庭で育ったのだが、それはもう本当にお金がなかった。お金がないから自然と節約が身についたかといえばそうではなくて、母は節約の反動でよく衝動買いをした。たまにびっくりするくらいの贅沢もした。
私は、本当にうちにはお金がないのかわからなかった。母の突然の贅沢をみて、「あぁ、うちにお金がないっていうのは、子どもの私にそう言って教育しているだけで、本当はちゃんとあるんだ。お金がないのは夢だったんだ。よかったー」ってそれこそそんな夢を見て目覚めることすらあった。悲しいかな、お金がある方が夢だったのだが。

お金がない環境というのは、精神的にも人を追い詰めていくのだろう、母はよく私に手を上げた。怒っているときは歯止めが効かないのか、金食い虫!と私をなじった。些細なことで怒って泣いて叩く母は恐怖の対象だったけど、私には母しかいないから必死で母に懐いた。大人になってあの頃を俯瞰してみると、お金がないことを小さい子どものせいにして責める母は、女手一つで子どもを育てられるほど心が強くなかったんだと思う。

小学生も終わりに近づいた頃、母は再婚した。私は母が神経をすり減らして働くことから解放されることに、心底安心した。やっとお金がない環境から脱却できる!と嬉しく思ったりもした。ただ、新しい父の収入は悪いものではなかったはずだが、蓋をあけてみたら紆余曲折もあってやっぱりお金がなかった。
お金がないにも関わらず私は私立中学校に入れてもらうことになったが、お金がないから結局2年で辞めた。これは以前別の記事で書いたので、ここでは割愛する。

お金がなくても幸せだなんて、嘘だ。
お金がなければ友だちと放課後ロッテリアにもいけないし、TSUTAYAで新譜を借りることもできないし、病院にだっていけない。

私は親の反対を押し切って、高校1年生からファミレスのバイトをはじめた。もちろん自分のお金を稼ぐためだ。お小遣いが少なかったからだ。何かにつけて「金食い虫」と言われるのが嫌で嫌でしょうがなかったからだ。
でも母はそれが気に食わなかった。私を経済的に庇護下に置いておきたかった。なのに私が勝手に稼ぎはじめたもんだから、経済制裁を下した。
バイトをはじめた瞬間から、お小遣い制は廃止された。それどころか、携帯代、学校の教科書代、定期代、病院代、生活に関わる費用すべてを自分で払うよう命じられた。高校1年生に。バイトしていたと言っても、もらえる額は月に1万円とかそこらだった。教科書代や定期代、病院代までも負担するのは、本当に本当にきつかった。

この後もお金に関しては色々あった。

こんな感じで育ち、母は親であることをふりかざしてこのこと以外にも私によく経済制裁を下した。今ググれば「経済的虐待」と呼んでもよさそうなものも思えばあった。のちのことだが、大学の奨学金を着服されたりとか。

ずっと自分でやりくりしてきた。とはいえそりゃ100%ではないだろう。払ってもらったものもたくさんあると思っている。でも、早くから経済的には自立していたほうだと思う。

だって自分のお金だ。自分でやりくりして、遊んだりもする。
でも母はお金がないはずの娘が、お金を使って遊んでいるのが気に食わなかったんだろう。休みのたびに「また遊んでる」「お金をなんだと思っているの」「余裕があるならお母さんをどこかに連れて行ってよ」こっちがノイローゼになるくらい。私が楽しむことが、まるで悪のようだった。

意識下で自分の喜びに罪悪感を持ってしまう性質は、こういった経験からきているんだと考えている。多分間違ってはいないと思う。

プロにお金を払うということ

お金がないことも大きいが、本や漫画・CDは図書館、古本屋で探すの当たり前。同じ品物があったら、いかに安く手に入れられるかばかりを考えていた。
髪も、実をいうと年上の友人だった美容師さんが何年もただで切ってくれていた。私はその好意に甘えて、「節約できている」とすら思っていたかもしれない。最低だ。

今なら痛いほどわかるが、プロの仕事には対価が必要だ。そんな当たり前のことに気がついたきっかけは、2016年に作家の有川浩さんが「新刊本を買う意味」を提言しているというのをネットで知ったこと。(出典:https://gendai.ismedia.jp/articles/-/47847

衝撃的だった。そして突然、猛烈に恥ずかしくなった。

よくTwitterなどで「イラストをタダで依頼してきて断ると逆ギレする非常識さん」なんかが話題になるけれど、私がしてきたことって実は意識としてはそれに近いんじゃないだろうか。そんなつもりはもちろん毛頭ないけれど、よく考えたら私は好きなものやことにちゃんとお金を使っていない。
作品と誠実に向き合っていない自分がとても恥ずかしかった。

※中古本やCDを否定するわけではない。たとえば本でいえば、知らない分野の開拓や認知には、ある程度その循環が必要だと思っている。要は意識の問題だ。

好きな対象を応援するということ

某アイドルのファンは、どれだけそのアイドルにお金を落としたかで本気度が問われるのだという。ウソかマコトか、そんな話を聞いたことがある。

アーティストが活動できるのも、次のライブができるのも、CDやチケットやグッズの売り上げが大きいだろう。今はトレンド力なんかも指標のひとつにあるかもしれないが、制作というのにはお金がかかるものなのだ。結局、新しくリリースされたものに対する売り上げなのだ。大事なのは。少年ジャンプの連載において、アンケートの投票数が全てなように。 

私がいくらかげに隠れひそかに応援したって、中古で買ってきたライブBlu-rayをみて泣くくらい感動したって、それは応援として相手に届かないのだ。
そんなことをしている間に、アーティストは引退してしまうかもしれない。グループは休止・解散してしまうかもしれない。「いつまでも あると思うな 推しの活動」という言葉にはぐさっとくるものがあった。

なんで私は好きなものにお金をちゃんと使えないんだろう。お金を使うと言ってしまうととたんに俗っぽくなるが、好きなものにちゃんと真摯に向き合いたいと心から思うようになっていった。

「本当に好きなものにお金を使う」ということ

まずは坂本真綾さんのライブに行くようになった。FCにも入った。真綾さんはある思いからチャリティー活動を続けていて、私もそれに賛同するようになった。
真綾さんは真摯にファンと向き合ってくれる。本当に良いものを作ろうとして、誠実にそれを届けてくれているのがわかる。そんな真綾さんの活動を応援したい。
坂本真綾」なんて大きなアーティストすぎるので、私みたいなファン歴の浅い人間がひとり増えたところで…とはやっぱり思っちゃうけれど、知れば知るほど深く、どんどん魅力的な姿を見せてくれる真綾さんが大好きだ。

小倉唯ちゃんのライブには、このGWに初めて参加した。これにはすごく勇気がいった。なにせペンライト(キンブレ)を振るようなライブは行ったことがなかったし、オタ芸とかする男性が多いんだろうかとか、コールわかんないよとか、イメージだけが先行してぐるぐるぐるぐる悩んでいた。
結局、明日唯ちゃんが活動休止することになったら一生後悔すると思って参加することに。(唯ちゃんはもちろん今も元気に活動中だ。)結果ものすごく楽しかったし唯ちゃんのことがより一層好きになった。
一歩踏み出してライブに行ったことで、初めての世界で初めて知れたこともたくさんあった。たとえば、ライブの客層は、意外なことに女性率がかなり高いこと。てっきり男性ばかりかと思っていたのに、しかも綺麗で可愛くて、ライブだというのにとてもおしゃれな女の子が多かった。唯ちゃんが「可愛くあること」「小倉唯であること」に対して努力を惜しまないからだろう。女性は刺激を受けるのだ。唯ちゃんがプロとして素晴らしいのは、その努力する姿にある。
今度Blu-ray発売記念イベントがあるということなので、初めて当該Blu-rayを前金払って予約した。抽選に当たるといいな。
また先日は、ANNA SUIというブランドとのコラボ商品を出していたから、私も唯ちゃんプロデュースのお財布を使うことにした。

ワルキューレは、まだ縁がなくて直接ライブに行ったり応援できたりできていない。でもBlu-rayはちゃんと揃えているし、夫が引くくらい何回も観ているので、いつでも応援に行ける準備はできている。

 

私は今、幸せだ。
「推し」が与えてくれる気持ちの潤いったらすごい。
好きなものにお金を使うことの罪悪感を払拭して、心から応援できていることも自分にとってこの上なくうれしいことなのだ。

これを機に、ファンの交流にも参加してみたい。見える世界をどんどん広げていきたいな。

私は「迷い」と「決断」により、好きなものがあるという幸せを手に入れた。

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▲先日届いたANNA SUI×小倉唯 マルチウォレット。可愛い。